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琴弾八幡宮

 応神天皇、神功皇后、玉依姫命を祭神として祀る。神社の縁記は、1416年、権中納言藤原実秋が書き、時の将軍足利義持が官職と花押を記している。この縁起によれば703年、西方の空が急に鳴動し、黒雲が天を覆い、光を失うこと3日、その時山麓の梅腋の浜に1艘の船が近づくと「我はこれ八幡大菩薩なり、都に近づき朝廷を守護しようと宇佐から来たが、この地の風光を見て去るに忍びない。」と、朝廷の守護と異敵降伏の本誓を言った。また、海浜は一夜にして竹林となるなどの奇譚・霊験に驚き、数百人の童男女を集めてその舟を山上に引き上げ、御体に琴を添えて神殿を造営し、琴弾八幡宮として祀った。

公園園道の山側に注連縄のかかった大きな岩がある。日証上人がその舟の主と問答をしたところにあった石なので、問答石というと伝えられている。

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早苗とる 手もとやむかし しのぶ摺

お祓い橋を渡ったすぐ右の斜面に早苗塚がある。これは、観音寺の俳人小西帯河が、小林一茶の師である二六庵竹阿の指導の下に、西山青玉と協力して、芭蕉翁の句碑を建立したものです。その後、当時のものが破損したため、1839年半月庵五蕉が、新しい句碑を並べて建てた。この句は、芭蕉の「奥の細道」にある句で、福島県で詠んだものです。

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琴弾八幡宮の石の大鳥居は、1653年丸亀藩主山崎虎之助治頼公が寄進したものと伝えられる。このことは神社の献物帳にその旨記載されている。また、扁額とか両柱にも刻字され、鳥居上端の笠石にも唐草の紋章が刻み込まれている。この鳥居の特徴は上部笠石が一石で造成された全国でも数少ない石の大鳥居である。

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門の付近には、豊臣秀吉の与力、上坂丹波守の祠がひっそりとある。

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本殿への階段の途中には、義経ゆかりの「木の鳥居」があります。屋島の戦いの勝利の印として、源氏の側近が義経に代わって奉納したものと伝えられています。

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階段を本殿に曲がるところの角に遍路道の父ともいわれる真念が建立した道標がある。かつて琴弾八幡宮が第68番札所だったことのなごりである。

山頂にある本殿絵馬堂には、数百枚の絵馬が展示されている。これは、毎年開催される「全国絵馬コンクール」に奉納された絵馬である。

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本殿を展望台の方に下ったところに「史跡 弓張月」の碑がある。これは、曲亭馬琴が、1807年から1811年にかけて刊行した「椿説弓張月」の舞台となっていることに由来する。椿説弓張月は、曲亭馬琴作、葛飾北斎画の読本で、江戸末期のベストセラーともいえる。琴弾八幡宮は、源為朝の妻白縫が夫の敵をここで打つというものである。なお、椿説弓張月に観音寺の地名が出てくるのは、馬琴と親交のあった市村文林が情報を与えていたといわれている。市村文林の歌碑も八幡宮門の周辺に建立されている。

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2012年08月14日 | ▲TOP

琴弾公園

 

観音寺市の西北に位置し、財田川の河口近く琴弾山とその西側の有明浜一体が公園区域である。面積約38.7ha、園内平地部の砂浜は白砂青松となっており、観音寺松原として、瀬戸内海国立公園の第2種特別区域に指定されている。

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琴弾山は松林に覆われ西の燧灘から風が吹き付けるときは、その風の音が「仙人が琴を弾いているようだ」と、その名が付けられたといわれている。

松原中央部には、東西122m、南北90m、周囲345mの楕円形をした砂絵寛永通宝が描かれている。標高60mの琴弾山山頂付近からながめると円形に見える。

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園内に入ると、小沢圭次郎(酔園)の設計による和風庭園が財田川に沿って造られ、琴柱池・琴弦池が掘られ、藤棚が整えられ、市民の憩いの場となっている。

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財田側河口から北約2km程は、県内唯一の海浜植物の宝庫となっており、なかでもハマボウフウ、ウンラン、ハマゴウ、ハマウツボなど20数種類の植物を見ることができる数少ない海浜植物の生育地である。

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明治30年県立公園として開園、昭和11年に琴弾八幡宮、観音寺・神恵院や一部民有地を含めたエリアが名勝指定となる。昭和31年には観音寺松原が国立公園の一部に編入指定される。園内には、樹齢200年を超える老松など2000数百本が生育している。また、ソメイヨシノをはじめとする桜が数多く植栽され、日本の桜百選に選定されるなど、いろいろな花を楽しむこともできる。

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天狗山山頂には、昭和8年勅題「朝海」を詠んで入選した元三豊高等女学校校長の石井朝太郎の詠進歌の歌碑が建立されている。「動くとも 見えぬ白帆の連なりて あさしづかなり 瀬戸の内海」。また、ここからは観音寺の市街地を望むことができる。

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展望台山頂には、大正6年の勅題「遠山の雪」で当時三豊高等女学校の教諭であった堀野林治が詠進歌として入選した歌碑が建立されている。「ひうちなだ 浪路の末の雲はれて いよの高嶺に 雪ふれるみゆ」

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また、隣には、現代漢詩歌の高橋藍川の漢詩が建立されている。「白帆鷺の如く滄溟に入る 水愈碧に松愈青し 通年千年客の拾うなく 砂浜歴々銭形を見る」

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海側の山麓には、浴日館休憩所がある。周辺には桜、もみじ、つつじなどの木々が植栽され、四季を感じさせてくれる。

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大同年間(806〜810)弘法大師が「観音寺」の住職をしておられたころ、旱魃がつづいて住民は飲み水にも難儀をしていたため、これを哀れんで井戸を掘って住民を救ったと伝えられている山口の井戸がある。海岸に近いところにあるが、真水がこんこんとわき、涸れることがない「清水」ともいわれ、昭和の初めまで多くの茶人や住民が飲料水として使用していた。

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2012年08月09日 | ▲TOP
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