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一夜庵 - 山崎 宗鑑 [いちやあん - やまさき そうかん]
一夜庵
山崎宗鑑
俳諧の祖、山崎宗鑑が興昌寺の境内に結んだ庵で日本最古の俳跡といわれている。建立は享禄元年(1528)で、その後4回ほど修復されたがほぼ原形をとどめている。一夜庵の屋根には宗鑑の生誕地琵琶湖の葦が一部使われている。「一夜庵」の名は宗鑑が来客の一夜以上の滞在を好まなかったという次の句にも由来している。
「上は立ち 中は日ぐらし 下は夜まで 一夜泊りは 下々の下の客」
■山崎 宗鑑
寛正6年(1465年) 近江国(現在の滋賀県草津市)で生まれる。本名を志那範重、通称を弥三郎といわれるが定かでない。室町幕府 9代将軍足利義尚に仕えたが、義尚陣没後、出家する。山城国山崎に「對月庵」を結び、山崎宗鑑と呼ばれた。俳諧連歌のを興隆し、自由奔走で滑稽味のある句風は江戸時代初期の談林俳諧に影響を与えた。宗鑑流といわれる書で生計をたてていたと称される。晩年「ヨウ(できもの)」を患い命を失うこととなる。
そこで辞世の句は「宗鑑はいづくへと人の問うならば ちとよう(ヨウ)がありてあの世へといへ」
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